古代の武将が衣(きぬ)、褌(はかま)の上に短甲という日本古来の甲冑を以って武装した姿である。
短甲は古くは伽和羅(かわら)といわれ、日本書紀、古事記等に見え、またその形状は発掘品等により推定することが出来る。
「かわら」とは梵語の保護するという意味で屋根の瓦(かわら)は家屋を保護し、武将の伽和羅(かわら)は人体を保護する意と解される。
短甲は鉄板を横矧とし、鋲や組紐、革等で綴合わせたもの。胸腹部の前後を擁護するだけで挂甲に比して短いので、短甲と称されたものと考えられる。東大寺献物帳にこの短甲の記載がある。胴甲に兜を附し、また胴甲に腰下の小札の草摺(くさずり)、籠手(こて)、頸鎧(くびよろい)、肩鎧(かたよろい)を附属したものが、末永雅雄氏の研究によって復原されたが、これはその形式によっている。
兜は円形でなく前に衝角(しょうかく)があり、頂きに雉の羽等を飾った。また、上位の武将は金銅[銅に金鍍金したもの]を以って製することもあった。
大刀は腰に吊し、片刃の直刀で柄頭が槌のようになっているので頭槌(かぶつち)[頭推(かぶつち)]の大刀という。それに刀子(とうす)という短刀を腰に吊し、梓、槻、櫨などの丸木弓を手に、背には防巳(つづらふじ)の蔓(つる)で編んだ胡(やなぐい)を負って、中に柳や竹で製した矢に鏃(やじり)をつけたものをさしている。左手首につけたのは、鞆という革製の弓弦(ゆみづる)が手首を打つ事をとめる防具。武器にはこの他長い木の柄をつけた鉾(ほこ)があり、両刃の劔(つるぎ)、また防禦の為の楯がある。 |