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日本服飾史

江戸時代


  

蹴鞠装束と蹴鞠


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 中国伝来の球技で唐太祖の蹴鞠の図などが残されている。我が国では大宝元年[701A.D]5月5日蹴鞠会[けまりのえ]の事が本朝月令に記されている。平安時代には盛んになり競技規定も確立し、鎌倉時代以降飛鳥井[あすかい]、難波[なんば]の両流が生まれ御子左[みこひだり]、水無瀬[みなせ]の二流もあらわれた。競技の場を鞠[まり]の懸[かかり]、鞠の庭などといい方二丈[約6米]、東南の隅に柳、東北に桜、西北に松、西南に楓を植えることを原則として数は4人、6人を1組とし、8人を限度とする。大牡鹿の韋皮[なめしがわ]で作った径7、8寸[約24糎]の鞠を「やあ」「ありい」「おう」などの掛け声をかけて蹴る。
 装束も衣冠や直衣、狩衣、僧服の鈍色(どんじき)を用いる等規定はなかったが、のちに直垂に似た鞠水干[まりすいかん]が定められた。
 ここでは江戸時代の姿とし着装の鞠水干は天保6年乙末[1835A.D.]9月三木休兵衛通徳[61才]の拝領と記されている萠黄紋紗地縫紋比翼鉄仙のものを使用し、鞠袴は文政5年[1822A.D.]寺沢和泉頭使用の惣紫、露革御紋附の袴を用いた。烏帽子は大皺立烏帽子とし懸緒は飛鳥井流のこのてがへし[厚細組みに似たもの]の紫、鞠扇は十骨平骨で「こうたり透し」[蝙蝠扇=こうたり]桐の木を親骨にした老翁の用、鴨沓は鹿の揉み革の藍白地のもので革紐で括る、帖紙は薄様、鞠は天保6年乙未秋製作、松浦氏旧蔵のものである。

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1  立烏帽子(たてえぼし)
2  立烏帽子の懸緒(かけお)
3  鞠水干(まりすいかん)の胸紐(むなひも)
4  鞠水干
5  帖紙(たとう)
6  鞠扇(まりおうぎ)
7  袴(くづばかま)の露革(つゆかわ)
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9  鞠水干の袖露(そでつゆ)[袖括(そでぐくり)の緒(お)]
10  鴨沓(かもぐつ)
11  鞠水干の小露(こつゆ)[菊綴(きくとじ)の緒(お)]
12  鞠(まり)




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