[服制の成立]
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縄文式文化の時代
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弥生時代
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古墳時代
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推古・飛鳥時代
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奈良時代
[和様の創製]
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平安時代
[武装の伸展]
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鎌倉時代
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室町時代
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安土・桃山時代
[小袖の完成]
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江戸時代
[洋風の摂取]
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明治・大正・昭和時代
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昭和時代前期
縄文
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弥生
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古墳
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飛鳥
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奈良
平安
鎌倉
・
室町
・
安土桃山
江戸
明治・大正
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昭和前期
三斎羽織をつけた明治維新の官軍将校
黄櫨染の御袍
御引直衣
御祭服
御小直衣
皇太子黄丹袍姿
勅任文官大礼服
奏任文官大礼服
非役有位四位以上大礼服
非役有位五位以下の大礼服姿
宮内官[侍従職・式部職]奏任官大礼服
男爵々服
皇族女子盛装
女官袿袴礼服
女官袿袴通常服
女官夏の礼服袿袴姿
明衣・木綿蔓・木綿襷の神職
鹿鳴館時代の上流婦人洋装
陸軍武官正装
海軍武官正装
陸軍武官軍衣
陸軍下士官軍衣
明治中期より昭和前期における裁判官制服
山高帽、二重廻しのマント
女学生姿
上流婦人の洋装中礼服
上流婦人の洋装 ビジティング・ドレス
闕腋袍束帯小忌衣の奏任官
闕腋袍束帯裲襠姿の奏任官
束帯纔著の姿
五節舞姫
即位の礼、正殿の儀における威儀の者の装束
鹿鳴館時代の上流婦人洋装
明治政府は西欧文明を速やかに吸収して欧米人と対等の外交を求める為に努力した。その外面的手段として政府は東京麹町に明治16年[1883A.D]鹿鳴館という社交クラブを作り外国貴賓接待の場とした。建物はイギリス建築家コンドルの設計で純粋の洋風建築、鹿鳴は詩経にある「鹿鳴き 群臣嘉賓燕するなり」によるという。落成式には西欧の風にならい、夫婦を招待したことにより、女性の洋装が脚光を浴びることになった。
其の後明治17年から20年にいたる欧化主義の風潮の拠点ともなり、この狂熱的な一時期を鹿鳴館時代という。
これはその当時の服装を想定したもので、髪は夜会巻きといわれる束髪に、19世紀後期のフランス式の服装とした。
即ち、19世紀に入るとフランスではナポレオン3世の帝政となり服装界は幻想時代に入り従来行われたクリノリンやグロテスクな異様に大きい服装は一時衰えたが1855年英国から再度のクリノリン[パニエ]が入りシルエットは拡大した。1871年普仏戦争でフランスが敗れてから急激にシルエットも縮小し、大きなクリノリンは消滅してスカートは細く、その背後にその余りをたたみかさねてボーを造った。デコルテの胸はレースをタックして襞を作り、スカートは幾段にもレースのタックをつけて、スカートを背後に曳いた。手には孔雀の羽で作った扇を持っている。
当時のボリュームと美観を増した盛装である。尚鹿鳴館はのち昭和15年国辱的建物として取りこわされたという。
1 櫛(くし)
2 夜会巻(やかいまき)[束髪]
3 夜会服
4 孔雀(くじゃく)の扇(おうぎ)
5 ボー
6 絹(きぬ)の靴(くつ)
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