風俗博物館
TOP 六條院拝見 貴族の生活 行幸の演出 六條院四季の移ろい 風俗博物館について
MENU
[服制の成立]
縄文式文化の時代
弥生時代
古墳時代
推古・飛鳥時代
奈良時代
[和様の創製]
平安時代
[武装の伸展]
鎌倉時代
室町時代
安土・桃山時代
[小袖の完成]
江戸時代
[洋風の摂取]
明治・大正・昭和時代
昭和時代前期
*
*
平安京へ出かけよう
牛車で清水詣へ出かけよう
輿で鞍馬へ出かけよう
虫垂れぎぬ姿で出かけよう
*

日本服飾史

明治 大正 昭和時代


  

上流婦人の洋装 ビジティング・ドレス


* *

 明治時代の皇室や華族の間に於いて最も多く日常用いられたのがこのビジティングドレスと通常服であった。宮中に於ける西洋服装は次のように定められている。[明治19年6月23日宮内大臣内達に対する説明]
 大礼服 manteau de cour 新年式用ゆ
 中礼服 Robe decolltee 夜会晩餐等に用ゆ
 小礼服 Robe mi-decolltee 上に同じ
 通常礼服 Robe montante 裾長き仕立にて宮中昼の御陪食等に用ゆ
 以上が礼服であってこのビジティングドレスはこれに次ぐものとして皇后が拝謁を受ける場合や行啓される場合に女官その他が侍立したりお伴する場合にも着用されている、又更に一般服として通常服があり、このビジティングドレスを格下げして通常服とされることもあった。通常服といっても男子のフロックコートやモーニングに当り、民間においては礼装に相当することになる。
 これは貞明皇后の姉君、大谷籌子夫人が明治43年にロンドンで作られたスーツで Hamphrey という店の調進になるものである。
 表布は鶯色の絹袖、裏は薄いグリーンに白の水玉模様染のグラセイシルクが用いられている。テーラードのラベルにはボイルのプリント重ねてあり、小衿、袖口、身頃の切替、スカートのボタン飾りと上身頃脇のコード刺繍は当時英国で流行していたものである。直線を基調としたシルエットのスカートはプリーツとなり襞はヒップの高さより下まで縫い下げられて狭いスカートになり、裏はなく、長さは足もと迄及び、襞はひざのあたりで開かないようにテープで止められている。
 帽子も、靴も御使用の現品である。この着装の品々は現在京都女子大学に所蔵されている。
 本図著装撮影については京都女子大学の諸氏の御好意の賜であり、久保房子氏の女子宮廷服の構成技法洋服篇の論文を参酌させて頂いた。
 明治末年のものとしては数少ない遺品の一つである。

*
1  帽子(ぼうし)
2  スーツの上着
3  スーツのスカート
4  絹(きぬ)の靴(くつ)




*
風俗博物館
〒600-8468 京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)
TEL:075-342-5345 FAX:075-351-6947
ご意見、お問い合わせはこちらまで
(館長 井筒 與兵衛) mail
Copyright(C)1998,COSTUME MUSEUM All Rights Reserved.
*