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六條院四季の移ろい

神無月(かんなづき)(十月)


ノオジギク
ノオジギク
アキノキリンソウ
アキノ
キリンソウ
コウヤボウキ
コウヤボウキ
イワシャジン
イワシャジン
ホトトギス
ホトトギス
ツワブキ
ツワブキ
亥(い)の子(こ) 最初の亥の日
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現在の亥の子餅
十二支を各十二箇月に当てはめると十月が亥の月にあたる。その月の亥の日に行う行事を「亥の子の祝い」といい、この日に餅をついて亥の刻に食べると万病を除くと考えられた。また、猪の子はたくさん生まれることから、子孫繁栄をもたらすともされた。「玄猪(げんちょ)」「厳重」ともいい、その餅を「亥の子餅」「玄猪餅」などという。亥の子餅は贈答品にも用いられた。

『源氏物語』「葵」の巻にも、「その夜さり、亥の子餅まいりたり」とその名がみえる。宮廷では、大炊寮(おおいりょう)が糯米(うるちまい)を用意し、内匠寮(たくみりょう)が餅を猪子形につくり、色とりどりの餅を調進したが、その秋にとれたばかりの大豆、小豆(あずき)、大角豆(ささげ)、胡麻(ごま)、栗、柿、糖の七種を混ぜたという。

江戸時代には、「つくつく」と呼ばれた小型の臼を使って天皇自らが亥の子餅を作ることが、『後水尾院当時年中行事』などの故実書に見えている。亥の子餅用の小型の杵や臼の江戸時代の遺品が、京都の老舗菓子屋などに大切に残されており、いまでも亥の子餅は十一月初旬の茶会などで茶菓子として使われている。江戸時代に年中行事絵として描かれた亥の子餅は白、黒、赤の三種が基調であり、銀杏(いちょう)、紅葉、菊、しのぶ草とともに紙に包まれているのがうかがえる。

なお、京都市内の護王神社では、祭神の和気清麻呂を猪が守護したという故事から、猪を神獣として崇拝している。その縁で、かつての宮中行事を神事として復活させた「亥子祭」を毎年十一月に行い、亥子餅をついて参拝者に授与している。

光源氏と紫上の結婚

幼い紫上を半ば略奪するように源氏が自邸に引き取ることに始まる二人の関係は、結婚の事実についても、三日夜餅(みかよもち)の儀式は済ませたものの、内輪にしか知らされない内密の結婚であった。しかも普通、裳着は結婚の前に行うものであるが、紫上の場合はその逆で、源氏との結婚後に行われ公にはされなかった。

このような処遇から、源氏と紫上との結婚は、社会的に認められるものとはいえないものの、何の後ろ盾もない紫上が愛情という不確かなものだけを頼りとし、世間にも認められる地位を保ち続けたのは、すべてにおいて非の打ち所のない魅力に満ちた理想的な人物として描かれていたことに尽きるといえよう。そう言った意味においても、源氏の生涯の伴侶として内実共に結婚生活を送ったといえるのは、やはり紫上ただひとりであるといってよいであろう。

平安時代の結婚
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衾履を用意する女房と沓を預る女房
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三日夜餅を用意する女房と灯明の火を守る女房
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後朝の文を読む雲居雁(「藤裏葉」より)
平安時代の貴族社会では、男女が恋愛関係を持つと、男が女性の許に通いつめた。そのうち共に「住まふ」(「ふ」は状態が継続していること)ようになれば夫婦関係を持ったとみてよいが、一つの区切りとして、また親などの周囲が決めた婚姻の場合には特に、儀式としての結婚行事が行われた。夫妻の身分や時代によって細かな差違はあるが、おおむね次のようなものである。

婚約が整うと、かねて約しおいた吉日に、男が女に使いを立てて手紙(恋文)をおくる。この使いを「書ふみ(文)遣い」という。女からも返書が贈られる場合もある。その夜、男が女の家におもむくが、上流貴族では牛車に乗り、美麗な行列を仕立てたもので、見物人がでるほどであった。

男が女の家に着くと、道中の明かりとした脂燭(松を細長く切ったもの)の火は女の家の灯籠に移され、さらに室内の灯台に移される。この火は約一ヶ月に渡って大切に守られ、消されることがなかった。また、男が脱いだ沓は大切に扱われ、女の両親の許に届けられた。男女が帳の中に入ると、衾(ふすま)(寝具)が掛けられ、共寝をする。これが新枕(にいまくら)である。

男は新枕の夜から三日間、女のもとに通いつめる。それによって結婚が成立したことになり、三日目の夜に、新婚夫婦の寝所に「三日餅(みかのもち)」「三日夜餅(みかよのもち)」とよばれる餅が供された。二人はこれを食し、自分たちの結婚を祝った。

共寝の翌朝には男は自宅に戻るが、女に慕情を込めてしたためた手紙(主に恋歌)を贈るのがしきたりである。これを「後朝(きぬぎぬ)の文」という。それを届ける使者を「後朝の使い」といい、上流貴族ではしかるべき身分の人間が依頼された。

三日夜餅が供される夜、もしくは数日後に、「露顕(ところあらわし)」が催される。現代でいう「披露宴(ひろうえん)」がこれにあたり、正式に二人が夫婦になったことを周囲が公認して祝う宴会である。

『源氏物語』「葵」の巻にも、光源氏と紫上の新枕から後朝の文、そして三日夜餅の一連の結婚行事が描写されている。




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