風俗博物館
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[年中行事]
月次公事屏風一双
正月「子の日松」
二月「列見」(れけん)
三月「曲水流觴」
四月「孟夏旬」
五月「献菖蒲」
六月「大祓」
七月「相撲節会」
八月「駒牽」
九月「虫狩」
十月「射場始いばはじめ」
十一月「五節舞」(ごせちまい)
十二月「追儺」

[宮廷文化のかたち]
[参考文献]
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平安京へ出かけよう
牛車で清水詣へ出かけよう
輿で鞍馬へ出かけよう
虫垂れぎぬ姿で出かけよう
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年中行事と宮廷文化のかたち

六月「大祓」

川辺に夏祓したる所(『基煕卿記』)

夏越祓
六月晦日に、茅輪をくぐって夏季に流行する悪疫の除去を願う。 茅輪を悪疫除去の標としたのは蘇民将来の「茅の輪を腰に着けておれば疫病から免れる」に拠る。 蘇民将来は疫病除けの守護神とされ、蘇民守りで知られる。

一日  忌火御飯
同   御贖物
十日  御體御卜
十一日 月次祭
同   神今食
十四日 祇園御霊會
十五日 竹生島蓮華会
十六日 嘉祥
十八日 妙心寺山門懺法
二十日 鞍馬竹伐り会式
三十日 節折、大祓
同   鎭火祭、道饗祭
不定  雷鳴陣
行事  氷室節供(献氷祭)

* 34. 弦召つるめそ
  41×108 表具55×190
  大正〜昭和時代
祇園会の神幸祭に甲冑姿で供奉する弦召(武者行列)は、平安時代の旧兵部省に帰属した弓削・矢作に起源するもので、彼らは弓矢町に住み、祇園社に帰属して祭に奉仕した。武者行列は近年に中断するが、祇園祭を象徴する風物の一として多くの画人に描かれた。
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祇園祭
京都祇園社の祭礼である祇園祭は、祇園御霊会と呼ばれ、旧暦の六月十四日(現在は七月十七日)に齋行(山鉾巡業)される。 社伝はその起源を貞観十一年(869)とする。祭が現在の「町衆の祭」になるのは室町以降とみられ、華麗な懸装品で鉾や山を飾り立て「動く美術館」の体裁を整えたのもこれと軌を一にしている。 懸装品に新来の珍奇な染織品が多見される背景には、近世の祇園祭を支えた町衆の多くが、染織品の取り扱いを生業とし、室町を中心とした鉾町に居住した事実と関係していよう。 祇園社と彼らを結ぶ深い絆を想起させるものに、室町後期(大永年間・1521〜28)に祇園社に設置された「綿の座」が挙げられる。彼ら仲間(町衆)が新来の珍奇で高価な染織品に対し敏感だったことは職業柄からみても自然な成り行きで、器量も経済力も兼ね具えていた彼らが、守護神である鉾や山にそれらを奉げたのも必然の行為と理解される。 近世以前の「綿」は真綿、すなわち絹糸の素材をさす。

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35. タペストリー  断片 69×89
負傷した戦士と女神だろうか。完形図様の1/12の大きさと推定され、1480〜1500年頃にオランダで織成。毛と絹、綴織

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36. アハシュエロス王とエステル王妃  161×258
1610〜1630年頃のベルギー製タペストリー。毛と絹、綴織

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37. ロザリオを持つ王女と従者たち  190×206
1580〜1620年頃のオランダ南部製タペストリー。毛と絹、綴織

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38. 金魚藻文様小袖  124×154×42 江戸後期
江戸時代のはじめに中国からもたらされた金魚は、珍奇な魚として上流社会に愛玩されたが、元禄・享保のころには養殖と改良もすすみ、人々の間で広く愛好されることになった。安永の頃からは金魚売りが街々を売り歩くようになり、夏の風物詩として定着した。
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