風俗博物館
TOP 六條院拝見 貴族の生活 行幸の演出 六條院四季の移ろい 風俗博物館について
MENU
寝殿造 貴族の住空間
源氏物語の住まい
彩る調度の品々
平安時代の遊び
装束
*
*
平安京へ出かけよう
牛車で清水詣へ出かけよう
輿で鞍馬へ出かけよう
虫垂れぎぬ姿で出かけよう
*

貴族の生活

寝殿造 貴族の住空間


貴族の邸宅は寝殿造(しんでんづくり)とよばれるもので、正式なものは一町四方の築地塀(ついじべい)に囲まれた敷地の真中に、東西棟の寝殿(しんでん)(主殿)を中心に建て、その東西にそれぞれ南北棟の対の屋(たいのや)を配置して、その間を渡殿(わたどの)や透渡殿(すきわたどの)でつないでいる。 さらにふつう南側には池のある庭園が広がっており、東西の対の屋から南へ延びる廊が、泉殿(いずみどの)や釣殿(つりどの)とよばれる池に接する建物へつながる、というように池に向かって「コ」の字型の建物群を作っている。六條院春の御殿もこの構成に準じている。

*
寝殿(しんでん)
寝殿は、主人の住む寝殿造の主殿で、六條院の春の御殿の場合、正面の柱間(桁行)が五間、側面の柱間(梁間)が二間の母屋(もや)を中心に、周囲に一間づつの廂(ひさし)が付いている。廂の外にさらに簀子(すのこ)の濡れ縁が付いて、廂と簀子の間に格子(こうし)が降りるから、廂の部分までが屋内ということになる。建物の内部は丸柱が露出した吹き放ちの空間で、塗籠(ぬりごめ)などの特殊な部屋は例外として固定された間仕切りの部屋がなく、必要に応じて御簾(みす)を垂らしたり、あるいは屏風(びょうぶ)・几帳(きちょう)などを立てて、適当に仕切って使用した。 また、床は白木の板の間で、座る場所には、畳やときにはさらにその上に茵しとねを敷いたり、簡単な場合には円座(わろうざ)を用いたりした。

*
塗籠(ぬりごめ)
昼の御座の西側の、土壁で囲まれた二間の部屋である。ここは寝殿で最も神聖な場所とされ、先祖伝来の宝物を収納した り、寝所にあてたりした。後期になると神聖視が薄れ、物置きとしても使われだした。
*
昼の御座(ひのおまし)
寝殿の母屋、東西五間(柱間)・南北二間のうち、東側三間を昼の御座と呼び主人の御座とする。 奥に御帳台(みちょうだい)を構え、前方に二帖の畳を敷き茵(しとね)を置いて座を設える。 背後には屏風(びょうぶ)を立て、二階厨子(にかいずし)や二階棚(にかいだな)など、調度の品々を並べた。

*
寝殿(しんでん)の正面
寝殿は基本的に主人と家族の限られた私的な居住空間であった。「藤裏葉」の冷泉帝(れいぜいてい)と朱雀院(すざくいん)の行幸(ぎょうこう)・御幸(ごこう)のように、身分の高い賓客(ひんきゃく)は別として、ふつうの訪問者は廂(ひさし)の外側、つまり簀子(すのこ)縁で寝殿内の主人と応対した。寝殿の内部に入れるのはよほど親しい訪問者に限られる。 簀子より一段母屋側に入った廂の間は、屋内と屋外の中間的な位置にある場所である。簀子と廂の間の格子(こうし)を上げて御簾(みす)も巻き上げれば、屋外と連続した空間になる。母屋(もや)と廂の間の御簾も巻き上げて、主人が奥から廂にまで出れば、外の景色を望むことができるし、母屋と廂の間の御簾を降ろして、簀子にいる訪問者との空間を広げることもできる。

*
階(きざはし)
寝殿の南面中央に位置する五級(ごしな)(段)の階段で、高欄(こうらん)が付く。 上部には階隠と呼ぶ庇が張り出していて、賓客はここに車や輿を寄せて昇降した。
*
階隠間(はしがくしのま)
南廂の階の上にあたる中央一間のことで、平常は畳二帖と地鋪(じしき)を敷き、几帳を立てて御座を設える。 側には衝立障子を背に、二階棚(にかいだな)・鏡台などが飾られた。
*
簀子(すのこ)
廂の外側をめぐる濡れ縁で、高欄が付く。通路としての役割のほか、廂との境の御簾や几帳を挟んでの応接の場としても使われた。また、南庭で儀式や行事が行われる際には、物見の席ともなった。

次へ


*
風俗博物館
〒600-8468 京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)
TEL:075-351-5520 FAX:075-351-6947
ご意見、お問い合わせはこちらまで
(館長 井筒 與兵衛) mail
Copyright(C)1998,COSTUME MUSEUM All Rights Reserved.
*