女房装束とは、朝廷に出仕する高位女官の奉仕姿をいう。袴(はかま)に単(ひとえ)、重(かさ)ね袿(うちき)に裳(も)と唐衣(からぎぬ)を着けた姿を唐衣裳と称し、主上の不在時は唐衣ばかりは略することも許されたが、裳は必ず着けねばならなかった。平安中期、内に着込める重ね袿の風が極めて華美となって多数枚を着るようになるが、平安末期から鎌倉時代には重ね袿を五領までとする「五衣(いつつぎぬ)の制」が定められる。この五衣の上に、砧打ちをした打衣(うちぎぬ)と二陪(ふたえ)織物の表着を着込め、さらに張袴(はりばかま)を穿いて「物具(もののぐ)」と称して晴の正装とした。
後世、女官の朝服姿を十二単と一般に呼ぶが、元来の十二単とは袿を幾枚も着重ねた装束の表現であり、唐衣や裳を着けない寛いだ袿姿を指していたと思われる。
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