武家の正装であった直垂から大紋・素襖と次々と簡略な服装が作られたが、やがてそれぞれが儀式の用となるに従い、平素には素襖の袖を省いた肩衣に袴をはき、小袖を下につけた姿となり、それも又平素のものとはいいながら正装のうちに入ることとなる。江戸時代にはこの肩衣、袴が裃(かみしも)と称されて武家の式服として正装化されて行く。
この姿は織田信長像によったもので、本能寺の変の翌天正11年6月2日、一周忌の為に寄進された狩野元秀の筆になる図像が愛知県長興寺に現存しているのでこれにしたがい草色の肩衣に同色白二引の袴をつけ五三桐紋とした、白小袖に紅の下着を重ね、露頂のまま、小刀を佩び、手に白骨(しらぼね)の扇を持つ、袴には腰板がつき腰[紐]は狭くなっている。肩衣は後世のものと異り、襞も自然に、胸の前の打合わせも深い。
小袖の寸法は永禄9年銘のある辻ケ花染小袖実測図[神谷栄子氏編日本の美術小袖]等を参酌した。 |