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出かける前の予備知識
鞍馬までの道中
輿の種類
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輿で鞍馬へ出かけよう

出かける前の予備知識


* 鞍馬寺(くらまでら)は平安京の北の要

平安京は、北・西・東の三方を山で囲まれた盆地に所在している。そうした山々には数多くの山岳寺院(山林寺院)や神社が造られ、聖なる都を鎮護していた。特に、都の北方にそびえる鞍馬・貴船(きぶね)の山々は、清冷な鴨川(かもがわ)の水の水源として尊重されてきた。水の神である貴船社、北方の守護神である毘沙門天(びしゃもんてん)を本尊とする鞍馬寺がこの地に祀られてきたのも、いわば当然といわねばなるまい。

平安京にはもうひとつの毘沙門天がある。都の正門である羅城門(らじょうもん)の楼上には、はるか中国から招来された兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の立像(現・東寺蔵)が安置され、外界の穢れから都を守っていたのである。すなわち、平安京は、北を鞍馬寺、南を羅城門という、二体の毘沙門天によって守護されていたということになるのである。

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鞍馬寺
鞍馬寺の創建

寺伝によると、鞍馬寺は宝亀元年(七七〇)に鑑真和上の最年少の弟子であった鑑禎上人(かんちょうしょうにん)(思託律師)が霊夢に導かれてこの地に至り、毘沙門天を祀ったのが起こりだということになっている。ただ、この寺の創建が奈良時代にまでさかのぼるということは他の史料からは証明することはできない。確実なところでは、平安時代初期の延暦一五年(七九六)、造東寺長官・治部大輔藤原伊勢人が自らの氏寺として創建したことに始まるということになる。いずれにせよ、平安京に遷都された直後に建てられた古刹(こさつ)であることに間違いはない。当初は真言宗、さらに平安時代後期以降は永く天台宗寺院であったが、戦後になってから鞍馬弘教という宗派を起こして独立し、その大本山となって現在にいたっている。

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写真は方形造で力者が肩で担ぐ葱花輦(そうかれん)を用いている

輿(こし)に乗る
郊外の細い道や難路、市街部でも急を要するときや、略式の外出などには、牛車(ぎっしゃ)よりは小回りの利く輿が用いられた。輿は力者(りきしゃ)によって担がれる乗り物であるが、牛車と同じように、人が乗る屋形の基部の左右に轅(ながえ)を前後に通して、ふつうは前後それぞれ三人ずつで舁く。すなわち轅の左右両端を結んだ白布を、一人の力者が肩に掛け、左右の轅の両脇からふたりの力者がそれを支える。その三人がそれぞれ輿の前後に付くのである。力者が腰のところで担ぐので、腰輿(ようよ)、または手輿(たごし)という。

屋形はふつう切妻(きりづま)で、牛車と同じように左右の轅に歩み板を渡して袖を設けた袖輿(そでごし)もある。屋形の素材によって板製の板輿(いたごし)、檜の板を編んだ網代輿(あじろこし)、筵張(むしろば)りの張輿(はりこし)などがあった。また、山道などを通行しやすいように、屋形部分を取り外して床だけで担ぐこともあったが、これを坂輿(さかごし)といった。




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