雅楽は、日本に律令制度(りつりょうせいど)が導入されて国家の体裁(ていさい)が整う七世紀後半以降、儀式の荘厳などを目的に大陸から輸入された音楽である。しかし、平安前期には尾張浜主(おわりのはまぬし)などの名人が出て、和風化の努力がなされ、日本固有の神楽(かぐら)をも含めて、体系化された。もともと律令では雅楽寮(ががくりょう)という役所で教習されていたが、のちに天皇に近侍する近衛の官人が舞や雅楽をもっぱら勤めるようになると、宮中に蔵人所の管轄として楽所(がくしょ)が設けられ、舞人や楽人がここに詰めて儀式や神事、饗宴などの音楽・舞に備えるようになった。
両部制といって、すべての楽曲は対応する左右に分けられている(番舞(つがいまい))。すなわち左楽(さがく)は唐楽(からがく)といい、赤の装束を着用する。これに対して右楽(うがく)は高麗楽(こまがく)といい、緑の装束になる。唐楽と高麗楽は、それぞれ中国の音楽と朝鮮半島の音楽の意味であるが、実際は伝来した音楽の系譜をいうのではなく、日本で作曲されたものも含まれ、便宜上の感が強い。両者は、楽器編成も異なり、唐楽には笙(しょう)があるが、高麗楽には含まれない。また、唐楽の横笛は龍笛(りゅうてき)であるのに対して、高麗楽の場合は高麗笛(こまぶえ)となり、龍笛より少し小さく、音も高いのが特徴である。
雅楽に舞が伴ったものを舞楽といい、これが本来の形式であったが、いっぽうで宮中の饗宴のために、舞のない音楽だけの形式のものが整備された。これが管絃(かんげん)である。
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