風俗博物館
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日本服飾史

江戸時代


  

町方女房前帯姿


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 前で帯をするということは、衣服をまとめる紐であるのが本来とすれば当然のことであり、古墳時代の埴輪にも又、平安時代の束帯の飾剣をつける平緒も前に結びたれている。ただ、着装の必要上、脇に結ぶことはあっても、背後で結ぶのは、背面の姿を美化する為であり帯幅が広くなった結果として行動の便宜さも考えられる。
 江戸中期初め、明暦、万治[1655〜1660]以降、帯幅が広くなってからも、西川祐信の絵に見るように前帯が見られ、島原の遊女等にはその風が今日も伝承されている。
 華やかさを願う若い娘達や型を重んずる公、武家に背面結びが取り入れられた後も控え目を徳と考えていた一般町家の妻女にその古風が残ったのではなかろうか。宝暦12年[1762]刊の『歌舞伎事初』には特異な解釈があるが、その中に瀬川菊之丞曰くとして「前帯したる時は、気のふける物ぞかし、女は色を元とすれば後結びを本義とす」とあり、之をうけて文化10年[1813]刊の『都風俗化粧伝』に解説がある。ここでは、前帯について「専ら内室のむすび方なれども、大いなる略儀成り……」と書かれているが、更に曰く、「ここに図する所は、今、専ら人のむすぶところを写す……」とある。すなわち文化の頃、広く中年以上の妻女の正装とされたもので俗に「後室帯」などと称されている。
 江戸その他、地方に依ってはその用い方は少なく、京阪地方には広く用いられたもので、その風は大正初年にも及んでいる。
 筆者の母が大正2年に結婚式を挙げた時の記念写真には父、母の双方の母親ともに揚帽子に黒紋付前帯姿であった。
 ここに示すのは文化頃の京都の中年妻女の外出姿で練帽子をかぶり、薄茶地縮緬に藤の裾文様の紋付綿入小袖を着て、前帯をつけ、腰でからげている。

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1  練帽子(ねりぼうし)
2  小袖(こそで)
3  前帯(まえおび)
4  足袋(たび)




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