現在の京都に平安時代のイメージを求めようとしてもほとんど不可能であろう。条坊(じょうぼう)制という都市計画で造られた碁盤の目状の大路小路は、たしかに現代の京都の通りに受け継がれているが、全体的に道幅はもっと広かったであろう。貴族の邸宅は築地塀(ついじべい)で囲まれていたから、道路から見れば、両側に築地塀がつづいて、その前に溝川が流れ、柳などの街路樹が植えられる、といった比較的単調な景色であった。わずかに連続した築地塀のところどころに門が開いてその単調さを破るが、その中が貴族の邸宅だったり、役所だったり、あるいは官衙(かんが)町・廚(くりや)町といった寮兼台所兼作業所のようなところだったりするだけのことである。もっとも平安京も南部へ行くと、庶民の板葺(ぶき)の簡単な家が戸口と窓を通りに面して並んでおり、その町家の裏側は、共有の空閑地になっていた。
輿で鞍馬寺へ
神社や寺院は基本的に京内にはなく、郊外に行かなければ見られない。現在の京都らしさを生み出している有名寺社は、その多くが東山や北山、嵯峨などに集中しているが、これらの場所は平安京ではない。すべて平安京の外である。京内の宗教施設としては、東寺と西寺の官寺や、その後都市民によって興された六角堂や因幡堂(いなばどう)の町堂、郊外の社から祭礼のときに神輿がやってくる旅所などがあるばかりである。
こうしてみると、平安時代の京都は、現在とはずいぶん異なった景観である。とうぜんわれわれの考える観光地や遊びのスポットといった概念は通用しそうにもない。
しかし、この時代の平安京に居住する貴族や庶民にも、気晴らしの小旅行を兼ねた物詣でや年に一度のお祭り、衝動買いをそそらせるショッピング、仲間同志による花見の酒食など、いろいろな遊興の機会はあった。そこでわたしたちも六條院から外へ出て、そんな平安京の観光地や遊びのスポットへ出かけてみよう。六條院は、平安京の左京六條京極(ろくじょうきょうごく)辺にあったとされる。そこを出発点として、平安時代の外出スタイルで、平安時代の京都とその周辺を歩いてみたい。
牛車で清水寺へ虫垂れ衣姿で
まず最初に出かけるのは、東山の清水寺(きよみずでら)である。平安京から至近の距離にある。ここには霊験(れいげん)あらたかな観音(かんのん)が祀られていて、平安時代から身分の差別なく多くの参詣人でにぎわった。ここへは、当時の貴族が常用した
牛車(ぎっしゃ)に乗って出かけることにしたい。牛車から見る鴨川や途中の寺院の景色も楽しむことにしよう。そして清水寺では有名な舞台から平安京を眺望するのがお勧めである。
次に、平安京からは北に位置する鞍馬寺(くらまでら)に参詣する。清水寺に比べると距離もやや遠く、途中細い道や険しい坂もあるので、牛車よりは手軽な輿(こし)で出かけるのがよい。六條院は平安京の南部にあるので、京内を通って郊外に出、鴨川を渡って山あいの道を行くことになる。途中、京内では、有名な大邸宅や町堂などのそばを通るので、ちょっと立ち寄って見物しよう。郊外に出ると、のどかな田園や河沼と山の風景に変わる。日帰りは無理なので、鞍馬寺の坊に宿泊する予定である。
七条の市へ
最後に、お忍びで七条の市あたりへ歩いてショッピングとしゃれ込もう。六條院から市へは比較的近い距離にある。この地域は、平安京の中でもいわゆる「下町」にあたる。きっと心ときめくことがあるだろう。唐からやって来た珍しい香や陶器の器、それからちょっといい男から歌を詠みかけられるかもしれない。でもこの時代の女性の身だしなみとして、壺折装束(つぼおれしょうぞく)に市女笠(いちめがさ)、垂れ衣をつけたいわゆる虫(むし)の垂(た)れぎぬ姿で、顔は隠していかねばならない。見え隠れする着物の裾の色合いに気をつけて、ちょっと品のいい童女をお供に連れて行くとなおよい。市から少し足を伸ばして、東寺や稲荷旅所(いなりのたびしょ)にも出かけたい。
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