祇園祭(船鉾)
御霊会(ごりょうえ)とは
平安時代は、怨霊(おんりょう)とともに始まった。桓武天皇の同母弟であった早良親王は、造長岡宮使・藤原種継の暗殺事件の責任を問われて非業(ひごう)の死を遂げた。長岡京がわずか十年で廃都に追い込まれた理由のひとつは、明らかにこの早良親王(崇道天皇と追尊)の怨霊の祟りが信じられたことにあった。
やがて、政争に敗れて憤死した人々の怨霊を神として祀り、その怒りをなだめる儀式がおこなわれるようになった。これが御霊会である。
当初の御霊会は神泉苑において実施されたが、後には常設の神社が創建されるにいたる。上御霊・下御霊両神社がそれである。
現在京都の夏を彩る祇園祭も、もとは「祇園御霊会」といわれ、同じ御霊会から出発している。当初は神輿を中心とする祭礼で、京中の旅所へ赴く祭列が華やかであったが、室町時代になるとこれを奉賛する山鉾巡行が盛んになった。これが現在の祇園祭である。
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