清水寺創建の由来
清水寺は京都市東山区にある北法相宗の寺である。山号を音羽山(おとわやま)という。興福寺一乗院の末寺で、本尊は十一面観音(かんのん)である。
本堂は平安時代以来の様式で、舞台造の礼堂である。平安期の漢学者藤原明衡の作と伝えられる『清水寺縁起』によると、創建は宝亀九年(七七八)で延鎮が東山の山麓で行者(ぎょうじゃ)行叡に会い、教えに従って草庵を結んだのがはじまりとされる。その後、延暦十七年(七九八)、坂上田村麻呂を願主として清水寺を建立したという。そして同年に十一面四十手観音像が造立された。
古来より本尊の十一面観音の霊験(れいげんは)よく知られ、人々の信仰も篤(あつ)く観音信仰の霊場のひとつとして栄えた。その様子は、『更級日記』に彼岸会(ひがんえ)で賑わいを見せる様子と参詣した作者が夢告を受ける様子が記されているし、清少納言も度々参詣していることが『枕草子』に語られている。
『源氏物語』では、清水観音の縁日(えんにち)の日を中心に、夕顔の物語はクライマックスを迎え、人の死という現実に直面した源氏は成長し、物語全体は現実味を帯び深みを増すというように設定されている。
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