宇陀の法師
宇陀院が愛したと言われる和琴の名器の名前であるが、一条院の時、内裏焼亡(だいりしょうぼう)と共に焼失した。『枕草子』には、数多くの名器の中にその名が見えることから、宮中にはさまざまな名の通った楽器が存在したようである。特にこの和琴は、実際の宴遊の際の楽器の中でも最も格式の高いものとして重んじられていた(『新儀式』、『小右記』長保二年十一月十五日条)。平安中期の官人源博雅は、村上天皇から「宇多の法師」を授けられ「賀殿(かてん)」と「此殿(このとの)」という曲を演奏したことがあったらしい(『政事要略』)。『源氏物語』の「藤裏葉」の六條院行幸(ろくじょういんぎょうこう)の際には、宮中の書司(ふみのつかさ)からさまざまな名器が集められ演奏されたことが描かれているが、和琴の奏でる音色に朱雀院の心には自らの在位時代が鮮やかに蘇り、しみじみとした懐旧の念を抱くのである。
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