六條院行幸では、その華やかな室礼とともに盛大な饗宴が開かれ、豪華な料理が出たはずであるが、その内容は物語には一切書かれず、不明というしかない。一般に、日本人は伝統的に食事や料理について関心が薄く、むしろそれに執着したり、是非することをいやしいとする傾向があった。したがって、食物や料理について正面から述べた文学や史料はほとんどない。ただ、有職故実の世界では、儀礼としての先例が重んじられていたので、わずかに儀式書や日記の中に、行幸や御幸あるいは節会や大饗などの、饗宴における献立が記録されているばかりである。
ここでは、『類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)』という平安末期に成立した故実書をもとにして、江戸時代に絵図に起こした『類聚雑要抄指図巻(るいじゅうざつようしょうさしずかん)』から、保延三年(一一三七)九月、崇徳天皇が仁和寺法金剛院御所に行幸して競馬を御覧になったときの酒肴と御膳の献立を紹介する。『類聚雑要抄』には、天皇、関白、大臣、公卿、とそれぞれの膳が順に描かれる。
料理はどちらかといえば素材主義で、素材を合わせたり、調味料を加えたりして調理するということはあまりなかった。足の付いた高坏(たかつき)、大盤・中盤等の膳類は、すべて紫檀製の螺鈿蒔絵を施したりっぱなものである。
|