◆妻 戸(つまど)と遣 戸(やりど)
妻戸は両開きの板扉であり、遣戸は敷居(しきい)と鴨居(かもい)の溝にはめられた引戸、という構造上の違い がある。
寝殿(しんでん)では、固定して設置された建具といえば、 塗籠(ぬりごめ)のように密閉された部屋は別として、母屋(もや)と北廂などを仕切る襖(ふすま) 、廂(ひさし)と簀子(すのこ)の間にあって 室内と室外を仕切る格子(こうし)ということになるが、 室内の出入りのために東西両側妻の南北には両 開きの扉が設けられた。これが妻戸で、もとも とは妻側に設置されたことによる名称であるが、 後にはほかの場所にも設けられた。対屋(たいのや)から 渡殿(わたどの)や透渡殿(すきわたどの)を通って寝殿(しんでん)(正殿)に行く場合、 ちょうど正面に当たり、寝殿への便利のために この位置に設けられたのである。「野分」では、 源氏の長男の夕霧が、渡殿を通って紫の上のい る春の御殿(おとど)の寝殿に行く際、折からの野分(のわき)(台 風)の風で開いた妻戸の隙間から、彼女の美し い姿を垣間見(かいまみる)、という情景が描かれている。
いっぽう、遣戸(やりど)はこの時代にはまだあまり使用されず、平安後期になって用いられた。細い 横桟を密に取り付けた舞良戸(まいらど)が一般的で、内側 には障壁画を貼り付けたりした。
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