(1)
冷泉帝、朱雀院は、繧繝縁の畳の上に座している。
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(2)
親王方は束帯の上の袍を直衣に変えた大君姿である。その下に着るている白の下襲の裾を後ろに長く引いている。
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(3)
台盤には、酒や料理が並べられている。準備している女房たちは源氏と親王方という貴人方の集まりなので裳をつけている。
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(4)
食事の皿は台盤の上に並べられるが、そこから一人づつのお膳に分けられた。懸盤折敷、高坏などが使われた。
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(5)
母屋の隣、廂の間では女房が料理の御膳を運んでいる。母屋の中には朱雀院の姿と天皇の直衣の裾、几帳の陰に控える女房の姿がうかがえる。
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(6)
上達部は黒の束帯姿。黒の袍の下に着ている下襲の華やかな裾を高欄にかけている。
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(7)
御膳を運んでいる女房達は御膳を母屋内にいる女房に渡す。彼女達は部屋内に入らないので裳だけの略装である。(部屋内の女房は裳唐衣の正装である。)
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(8)
女房が御膳を運んでいる東の渡殿と母屋の間は障子で隔てられている。障子は、ほとんどが左右引き違い戸になっており、今日の襖に当たる襖障子である。
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右手に座す殿上人は四位、五位以上の廷臣のうち、内裏清涼殿の殿上の間に昇ることを許された人々。天皇の側近でもある。
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帝より見て左手に座す上達部は、官職で言えば摂政、関白、大臣、大・中納言、参議など貴族の中でも最高の地位にあるグループの人達である。
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中央に座す冷泉帝は御引直衣姿。御引直衣は行幸や宴の折に用いられた天皇の常服である。写真の左側の上皇(院)と右側の源氏は直衣姿。
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御引直衣姿は通常の直衣姿(上皇と源氏が着ている姿を参照)と違い、直衣を腰でとめず、羽織ったまま、裾を長く引く形で着用する。
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童達は童髪に桜の花を挿した天冠をつけ、背中に色鮮やかな鳥の羽の造り物をつけて舞う。
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童達が着ているのはこの舞にだけ用いる装束で、袍には極楽の霊鳥、迦陵頻伽が刺繍されている。ここで用いた色は「赤き白つるばみ」(吉岡幸雄『日本の色辞典』紫紅社刊を参照した)である。
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上達部の着る下襲は通常は白だが、行幸や儀式の際にだけ、様々な色や柄、唐織物を用いることが許された。これを「一日晴」という。
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写真左から迦陵頻を舞う殿上童、赤の袍を着た楽人、建物の内部、左から黒の束帯姿の上達部、その奥に白の袍に長い裾をひいた親王方、そして天皇の姿が見える。
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廂の間を台盤所に見立てたが、中央の柱(御簾)の左側が廂の間、右側が孫廂である。
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殿上人の位置から楽人、殿上童を見下ろしたもの。楽人達は次の出番を待って脇に控えているところである。
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胡蝶を舞う童が着ているのは蝶の刺繍された特別の装束で、「青き白つるばみ」色である。
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胡蝶は、童髪に山吹の花を挿した天冠をつけ、背中に色鮮やかな蝶の羽の造り物をつけ、手には右手に山吹の花の枝を持って舞う。
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唐櫃から出された衣裳は、客人に渡しやすい様に一領ずつ広蓋の様な御衣筥に入れられる。女房は邪魔にならない様に髪を束ねている。
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女房達が宴に参集した人々にお土産として渡す禄の準備をしている。禄には衣類が選ばれることが多く、女房達は唐櫃にしまわれた衣裳を出している。
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舞人は赤地の闕腋袍を着て、上に貫頭衣の裲襠を着る。腰には攝腰という帯を締めている。
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御膳を運ぶ女房を別角度から捉えてみた。廂は廊下を幅広くしたような細長いスペースで、部屋として、廊下として使用した。
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御簾下から差し出された禄を受け取る上達部は黒の束帯姿。下襲の裾を後ろに引いている。階に浅靴が置かれている。
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女房は用意した禄の衣類を広廂と簀子の間を仕切る御簾の下から差し出す。簀子には上達部が禄を受け取るべく座している。
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女房達が紫上の指図に従って衣を選んでいる。
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禄の準備は大切な仕事。客人に失礼がない様、禄の品は主人が指図して用意した。紫上は紅梅の匂い重ね。高麗縁の畳に座す。後ろには几帳や屏風が並べられている。
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