新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(おおなめさい)の翌日、天皇出御のもと、群臣が参会して開かれる宴会を豊明節会という。本来は宮中儀式の後で催される宴会のことをいい、「とよのあかり」とは酒を飲んで顔が火照って赤くなることで、酒宴を意味した。
新嘗祭は、毎年十一月の二度目の卯(う)の日(卯の日が三回あるときは中の卯の日、二回ある時は下の卯の日)の夜に行われる神事。天皇が神嘉殿(しんかでん)において、その年の秋に穫れたばかりの穀物を天の神、地の神に捧げ、自らも食する行事である。なお、天皇の即位後に初めて行われるそれを大嘗祭というが、大嘗祭はその天皇一代の最大の儀式・神事であり、大嘗宮が建設されてそこで行われるなど、様々な点で新嘗祭と異なり、盛大に催される。
豊明節会は、新嘗祭ならばその翌日の辰の日に、そして大嘗祭ならば翌日の悠紀(ゆき)の節会、翌々日の主紀の節会をはさみ、三日後の午の日に行われる。天皇が豊楽殿(ぶらくでん)(後に紫宸殿(ししんでん))に出御し、その年に穫れた新穀を天地の神に捧げ、自らも食し、皇太子以下、群臣もこれを賜った。また、白酒(しろき)、黒酒(くろき)(諸説あるが、あま酒にクサギの焼灰を入れたものという)が供され、大歌(おおうた)(神楽(かぐら)や催馬楽(さいばら)など、古来の歌謡)を大歌所(大歌の教習や管理を行ったところ)の別当(べっとう)(長官)が歌ったり、国(くに栖す(古く大和国吉野郡吉野川の川上に土着していた住人の集団で、独特の風俗で知られた)が供物を献じて歌笛を奏したりした。
豊明節会のクライマックスはなんといっても五節舞(ごせちのまい)である。四人(あるいは五人)の舞姫の舞で、すでにその三日前の丑の日に、舞姫参入、帳台試(ちょうだいのこころみ)(常寧殿(じょうねいでん)において天皇が舞姫の舞を御覧になる)、翌寅の日に御お前まえの試こころみ(清せい涼りょう殿でんにおいて天皇が舞姫の舞を御覧になる)、翌卯の日、つまり新嘗祭の日に童女御覧(わらわごらん)(舞姫に付き添う童女を天皇が御覧になる)などの予行演習の行事が行われ、翌辰の日の豊明節会において盛大に披露された。
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