釣殿(つりどの)での涼み
『徒然草』にもあるように、日本の住宅は冬よりも、暑い夏をいかに過ごすかという観点から造られていた。寝殿造では対の屋の南の廊つなぎに、釣殿や泉殿(いずみどの)とよばれる建物が池に張り出していた。釣殿は池中の魚を釣る風情から、泉殿は湧泉に面するところから付けられた名であるが、実質的には類似の夏の納涼を目的とした建築である。
釣殿は、一間四方の主屋に廂(ひさし)と簀子(すのこ)を付けた、吹き放ちの簡単な構造である。光源氏の六條院では、東の釣殿が設けられていて、夏の暑い日に源氏はここで夕霧や殿上人とともに夕涼みがてら、桂川の鮎(あゆ)や近くの川で獲れた「いしぶし」といった魚を前で調理させたり、氷室の氷で作った水飯(すいはん)を食べながら酒を飲んだりしている(「常夏」)。
高欄(こうらん)に背中をもたせかけて、池の上を吹いてくる風に涼をとる風情、といえば聞こえはいいが、西日は照るし、風がなければやっぱり暑いことにかわりはない。
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