三月三日に行われる行事だが、本来は三月の最初の巳(み)の日に、海や川などの水辺に出て身の穢(けがれ)を払う行事であった。中国から渡来したもので、自分の罪穢れを移した衣服や、体を撫でたり息を吹きかけたりした人形を流した。平安京の人々は主に鴨川に出て行った。『源氏物語』「須磨」の巻では、源氏が住まいする須磨(すま)において、海に出て、陰陽師(おんみょうじ)を召して祓(はら)いをさせたり、人形を船に載せて流したりする場面がある。
ちなみに平安時代には後世のような「雛(ひな)祭り」はまだない。幼女が人形に美しい着物を着せたり、それに合う小さな食器や調度品を作ったりしてかわいがる「ひいなあそび」は『源氏物語』「若紫」の巻などに見えるが、季節に関係のないものであった。これと、人形(ひとがた)を水にながす上巳祓の行事とが結びついて、後世、三月三日にひな人形を飾り、ちょうどその時期に咲く桃の花を飾る「桃の節供」となっていく。
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