毎年春二月および秋八月に宮中で行われた読経の行事。廬舎那仏(るしゃなぶつ)をまつり、四日間ずつ、四ヶ寺より百人の僧を宮中に召して『大般若経』を転読(全六百巻すべてを読むのはたいへんなので、要所の数行や題目のみを読むことで、その一部を読経したことに替えること)せしめ、国家の安泰と天皇の安寧(あんねい)を祈願した。天平元年(七二九)が起源とされる(『公事根源』他)。貞観四年(八六二)に、二、四、八、十月の四季それぞれに行うように定められたが、元慶元年(八七七)、陽成天皇の時に変更し、春秋の二度になった(『師光年中行事』他)。
式場は当初大極殿(だいごくでん)か紫宸殿(ししんでん)であったが、次第に紫宸殿が恒例となり、時には清涼殿(せいりょうでん)で行われることもあった。また僧の人数も、六十人や百二十人の時もあった。
春期には、一日目が説法(せっぽう)(仏教の教えを聞かせる)・転読(てんどく)、二日目に引茶(ひきちゃ)(僧に茶を賜る)、三日目に論議(経論の要義を問答・議論すること)、第四日目に結願(けちがん)(終了)となる。宮中だけでなく、貴族の私邸でも行われた。
貞治五年(一三六六)に開催された『年中行事歌合』は平安時代の宮廷の年中行事をテーマにしたもので、中に季の御読経を詠んだ歌がある。「千とせとも限らぬ君の春秋はかかる御法(みのり)のためしなるらん(千年とも限らない永遠である帝の春秋(御寿命)は、このような法要が長くつづくことの模範ともなるのでしょう)」。「春秋」は、季の御読経の行われる春秋を掛けている。
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