紫宸殿の西の射場殿で天皇出御のもと衛門の官人が矢を射る行事。醍醐天皇昌泰元年に起こり、鎌倉時代には絶えた。
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一日 更衣、孟冬旬
五日 射場始
同 殘菊宴
十日 興福寺維摩會
亥日 玄猪(亥子餅)
行事 紅葉狩(観楓の野宴)
夷講・炉開き
東寺光明真言講
初雪見参
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更衣
十月朔日、夏装束から冬装束に更衣される。紫宸殿に天皇の出御があり、宴が張られ臣下は氷魚を賜った。
天皇の更衣を担当する女官は、後宮の女官制度のなかで「更衣」と呼ばれた。
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44. 玄猪臼 8.5×8.5×8.5 江戸時代
十月の最初の亥の日に餅をついて食べると万病を除くと信じられた。平安時代には年中行事となり、猪の子の形の餅が配られた。江戸時代には初亥だけでなく中亥、下亥日にも餅が配られた。
餅が猪の子の形であることから玄猪とも呼ばれ、除災として餅つきの所作をなす「つくつく」と呼ぶ習慣も派生し、これに用いる臼と杵の雛形が用意された。本品は白化粧して彩絵を施したもので御玄猪の臼とみられる。
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