大晦日の戌刻に宮中で行われた追儺を描く。追儺は中国で行われていた季節の変わり目に疫(鬼)を儺する行事を本源とし、疫(鬼)を桃弓と葦矢で追い払う鬼遺(おにやらい)として宮中行事に定着した。
松明の灯りに導かれ右手に鉾、左手に盾を持った玄衣の方相氏役が、紺衣の子と呼ばれた鬼役を率いて、天皇が出御される紫宸殿へと向かう。平安時代には方相氏の役を、その厳しい格好から鬼役に間違う演出にするなどしたが、室町時代には宮中の公事としての追儺は衰退した。後世になると師走の公事行事の追儺は、春分の前日の節分の民間の行事へと転じた。鬼は弓矢でなく豆を撒かれて退散させられることになる。
豆のもつ強い生命力が邪気を祓うのである。「鬼は外、福は内」。
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一日 忌火御飯
同 御贖物
八日 温臓粥
十日 御體御卜奏
十一日 月次祭
同 神今食
十七日 春日若宮御祭
十九日 御佛名
三十日 御贖物
同 大祓
同 追儺
不定 御煤拂、御髪上
荷前、豆打、着政・内侍取御
節分(柊と鰯)
松迎え、雪遊び
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