40. 天女錦織打敷 69×70
乞巧奠
七月七日、七夕の星まつり。今日の願いを書いた短冊を笹に吊るし、星に願いをする七夕の風習は、いろいろな要素を含んで成立している。一般には「賦詩」と「棚機女(たなばたつめ)」と「乞巧奠」と「牽牛と織女の聚会」の諸要素が習合したと解説される。
「賦詩」は、令が定めた七日の文人による賦詩の宴。
「棚機女(たなばたつめ)」は本邦の古来からの伝説。
「乞巧奠」は唐朝の宮廷儀式。
「牽牛と織女の聚会」は唐土の民間伝説。これらが習合し、信仰や形や性格を混在させながら今日の行事に整理されたと解釈されるのである。
棚機女の信仰は、神の嫁となる娘が、神の来臨を、機屋で布を織りながら待つという織姫伝説。
乞巧奠は織物の上達を織女に願う唐朝の宮廷儀式。
牽牛と織女とが聚会する伝説は、中国の星座信仰の一で鷲座と琴座を擬人化して成立している。
一方、織物文化を通観する視点から七夕を観察すると、ここに通底する織技の上達を願う心の奥には、縦糸と横糸が織り成す織物の技に、その技法や知恵に、神の存在を感じた織物文化の原点を見ることになる。
伊勢神宮の神宝の中に、織機の雛形や少なからぬ布帛が含まれることも、織物の衣服機能とは別の、より本源的な神の意思への感謝としてその習俗を垣間見ることになる。
ここに掲出した布帛は、近江の錦織寺の天女(織神)縁起を刺繍で図絵した打敷であり、
七夕の織姫とは別系の思想に立脚するものだが、天女伝説の背景を広義に解釈したく掲載した。
縁起は、暦仁元年(1238)の一夜、織姫(天女)が舞い降りて紫紅の錦を織って阿弥陀如来に奉献したと伝える。
織物の縦糸が天地を結ぶ、すなわち神と人々を結ぶ機能をここでも再確認することになる。
本作(打敷)は大小二枚からなり、一枚に文政十一年(1828)の作期をみる。天女が錦を織る場面を繍技を尽くして描いている。
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